原付のタイヤ交換。

いろいろ外して、
タイヤを差し込む。
俺にもできただろうが、
工具が無い。
空気を高圧で入れる機械も無い。
てことで頼むしかない。
でも、1回見たからもうできる。
たまたまあったバイク屋に立ち寄る。
向かいのバイク屋は日曜なんで休んでる。
なのに小さなこのバイク屋は動いてる。
何をやってる店なのかも普段なら分からない店。
でもバイク屋さがしながら原付押してたら、
視点が違うから見つかる。
(このおじさんに教わったのだが、
原付押すときは、エンジンをかけとくと軽い。
言われると当たり前のようだが、
いざパンクしたときは思いつかなかった。
とにかくこの最悪な状況を止めたい、
だからエンジン切る、な行動になるのだろう)
このおじさん、職人っぽい。
作業で汚れている。
店の中をのぞくと、自己流の工夫が見られる。
「最近の人は(自分で原付修理の)基本がない」
「女の子はけっこうカモられてる」
「〜〜はいい場所だよ」
「原付のタイヤはブリジストンがいい」
阪神大震災ではブリジストンつぶれそうになった」
「ふんだくる店と最低限の修理をする店」
「バイク屋はやり方がそれぞれ違う」
「プロステンっていう上級の店について」
「タップとボトルがおかしい(ので説明)」
「TODAY(原付)のリコール問題」
「新聞配達のカブはタイヤの布が見えるまで走り倒す」
「俺のパンクタイヤなんてまだまだ走れる」
その他いろいろ話しかけてくれた。
そして勉強になった。
お礼を言って、まだしゃべって、
またためになる話をしてくれて、
「じゃ、気をつけて」
といわれたので、
「はいーありがとうございました」
「勉強にもなりました」
って言ったら、
「そういうことじゃない」
と、言われた。
そういうことじゃない?
勉強のために話したんじゃなくて、
人間として話したってことかな?
そんなとこだろう。
この前のパンク修理してくれたおばさんに続き、
ここも裕福ではなさそうだが親切にしてくれた。
俺は恵まれてるのに、親切じゃない。
まじめにやってる人が報われない社会なのか。
いやあの人たちは幸せかもしれないよ。
でも他人から見たら幸せには見えにくい。
それは親切すぎるから?
正直者がバカを見る、そんな社会を、
最近感じる。
いやあの人たちをバカって言ってるんじゃなくて、
不公平とか感じた。
最低限の修理をする親切なバイク屋がぼろくて、
無駄な修理をするバイク屋が繁盛してる。
なんか、最近不公平っていうか、
アンバランスっていうか、
理不尽っていうか、
こういう社会でいいのだろうかって思う。
俺はうまく渡っていければいいっていう人間だが、
別の視点を与えられた。
人に。
人の視点を動かすのは、人なんだなぁ。