秒速5センチメートル

秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

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昨日は「時をかける少女」を見て、今日は「秒速5センチメートル」を見た。

時をかける少女」の方が好きだな。

なんでだろう。。。

まず、「秒速〜」のまとめを書いておこう。

  • 1:もう会えなくなる中学生男女2人が最後に会うという話。絵も美しく、ゆっくりと時間が流れるキレイな映画だった。しかし、何を伝えたかったのかと考えるとよく分からない。「会えなくなる、会いたい、会った。さよなら」という日常。でも、何気ない普通の会話に心がこもっているのを感じられる、ゆっくりとした丁寧な優しい印象。
  • 2:高校時代。離ればなれになった2人の男の方の話。というかその男に恋する1人の女の話。しかし男は中学時代の女の子を思っているのか、心ここにあらず。最後まで女の子は告白できない。彼が、自分を向いていないことが分かっているから。。。内容としては、「好きだけど、彼は私を見てはいない」という話。また日常。女の子がサーフィンに夢中になっているが、なかなか感情移入できなかった。サーフィンにはまる女子高生というのが身近にいないからなのか、背景が見えなかった。

また、1と2が続いていることに気づかなかった。まず2のはじめの風景が今までと違っていたので、違う話なのだと思った。男は似ているけど、女が別の人だったので別の話、この映画は短編集だと思った。1と2のつながりは「中学から高校への時間の流れ」「転校前、転校先」「男の名前」なのだが、私は男の名前を意識して覚えていなかったようだ。1と2はつながっていることを、男の顔以外で最初に伝えないと、「違う話だ」と最初に思い込んでしまうので作る側になったときは注意しよう。話の流れを丁寧につなごう。

  • 3:中学時代の2人が離ればなれになったまま大人になった話。男は中学時代をひきづって、それ移行につきあった女性とも心が近づくことはなかった。一方、女はそろそろ結婚するようで、幸せそうである。「男はひきづり、女はひきづらない」という日常。「女の恋は上書き保存、男の恋は名前を付けて保存」というあれ。男の方が最後は仕事を辞めて終わった。雰囲気としてバッドエンディング。

なぜ3が「秒速5センチメートル」なのか分からなかった。桜も出てこなかったし。男はITの仕事について、彼女とも心がつながらなくて、帰ったらボーッと映画かテレビを見て。やっぱり終わり方が悪い。1〜3を流れる「日常の表現」の視点から見たら、日常ってそんなものかもしれない。過去をひきづって、ボーッとして、何か辞めるのかもしれない。

全体を流れるテーマは「日常」。日常も見方によってはこんなにキレイですよ、という印象も受けた。日常を表現して、監督は何を伝えたかったのだろう。「うんうんそうだよねー」という共感だろうか。。。なんなんだろう。何かスッキリしない。この文章全体のように、何かスッキリしない。

アマゾンのレビューを見ても、賛否両論のようだ。泣けたと言う人もいる。内容が薄っぺらいという人もいる。なぜ、泣けるのだろう?好きなのに会えなくなった過去がある人か。気持ちを伝えられなかった人か。過去を引きずっている人か。

過去を掘り出されたくない人と、掘り出されたい人がいるのだと思う。自分は前者で、自分の過去を掘り出されたくないようだ。だから過去を思い出させるこの映画より、新しいメッセージを受け取れた「時をかける少女」の方が好きなのだろう。自分の内面の、気づいていない部分、忘れていた部分を見せてくれるのがこの映画で、それは自発的かもしれない。新しいメッセージを受け取れる映画は、外からメッセージを受け取る受動的なものかもしれない。

そういえば、私は日常よりも非日常の方が好きなのだった。一方、日常の幸せが好きな人もいる。だからこの映画は賛否両論なのだろう。だから私は日常を見せられて、バッドエンディングを見せられて、なんかスッキリしないのだろう。

でもなんでか一時間半、飽きることなく見ることができたのは不思議だ。映像の美しさのおかげか。それとも日常は嫌いといいながらどこか惹かれるものがあるのか。まあいいや。今日は何もまとまらない。1つだけプラスのメッセージを受け取って、今日は納得することにしよう。それは、「日常も見方によってはキレイですよ」ということ。

日常をキレイに見て、ゆっくりと優しく生きていくのもいい。

(昨日の「未来に向かって走っていく」とは逆な気もするけれど)