頼まれた仕事を忘れられると、「嫌われてる?」と人は思う。

バイトである物の片付けを他のバイトの人に頼んだ。しかし、片付けられていなかった。そのとき私は「嫌われてる?」と思った。しかしそれは単純な思考すぎる。他にも理由が考えられる。

  • 指示がよく聞こえていなかった
  • 忘れてしまった
  • 片付けたけど他の人がほかの仕事に使うために出した
  • 他の人に「また使うから片付けなくていい」と言われた

このように、考えられる理由がたくさんある。それをすべて考えてから「嫌われているのかな」と考えるならまだいいかも知れない。問題なのは「嫌われてる?」の1つしか考えれないことだ。

最近「マネーの虎」をニコニコで見ていたが、必要な素質の1つとして、「最悪を考えられているか」が見られているように思う。

それと同じく、日々の生活、特に人に嫌われてる嫌われていないなどの人間関係に影響がある思考には、複数の原因を想像できることが必要だ。「すべての人に好かれよう、すべての人に嫌われたくない」「何事も複数の原因を考える」なんて思ってはいないが、必要な時には複数の原因を考えられることが必要。

この複数思考ができたことで、はじめは片付けられていなかったことにイラッとしたが、何か理由があったんだろうと思え、スルーすることができた。

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そういえば、私自身も頼まれた仕事を無視してしまったことがある。しかも最近。手伝いをたのまれていたのに、追加の仕事が来たためそれを先に処理していたら、頼んだ人が自分でやりだした。「ほかの仕事を頼まれたからここの仕事はできなかったのね、仕方ないわね」と思ってくれることを祈るが、「嫌われてる?」と思わせてしまったかもしれない。

「嫌われてる?と思わせてしまったかもしれない」と私が思いながらだと、その人に接するのもよそよそしいものになってしまう。そして相手にも何かが伝わる。そして人間関係が微妙になっていくことにつながる可能性がある。あの時私は「ほかの仕事を先に済ましてからやるつもりでした」と、なぜ頼まれた仕事をやっていなかったかの理由を伝えておくべきだった。そうすればお互い無駄な心配をする必要がなかった。

小さいことを伝え合うコミュニケーションが、人間関係の小さなひびを埋めるということを、最近強く感じている。何気ない会話も大事だ。仕事の話だけでなく、今日の天気やおいしい食べ物の話をすることで、仕事もスムーズに進むし、気分よく動くことができる。

複数思考も大切、しかし、複数思考するまでもなく1つの真実をお互いに理解する小さなコミュニケーションも大切。どちらも大切で、まずはコミュニケーションして誤解を取り除き、それができないなら複数思考することで関係がこじれることを避けるのがいいと思う。