大学生活でたまった紙を燃やして見えたものは、火の粉だけではなかった

f:id:peroon:20091017193108j:image

この6年間の大学生活でたまったプリントやノートを燃やした。
来年4月からは東京に行くので、本をライブドアリサイクルにまとめて
引き取ってもらうなど、持ち物を徐々に減らしている。
今日は、ドラム缶に紙をつっこんで、
大学生活で使ってきたノートや資料を燃やした。
このドラム缶は祖父が段ボールなどを燃やすときに使っているもので、
風穴もあるし、ドラム缶の中間に網をはることでかなり燃えるようになっている。


以前から、燃やす前にそれぞれの紙資料に目を通し、
心に残ったフレーズなどはTwitterにつぶやくことで保存してきていた。


そして今日、天気がよかったので紙の資料を燃やした。
他にもいらなくなった個人情報の紙が大量にあったので、
捨てるに捨てられず、いつか燃やそうと思っていた。
私は福岡に住んでいるが、都会の真ん中ではなく、自宅の近くには山がある。
というか、1分で山に入っていける。
そんな環境なので、燃やしても許される雰囲気がある。
そして紙ばかり燃やした。風が強くなくてよかった。


燃やし終わってTwitterに、こうつぶやいた。

学習の思い出はあるが、習った内容を当時のように
使いこなすことは不可能。残ったのは、なぜこれを学ぶのか、
なぜこういう理論なのかなどの、哲学だった。


これが感想だ。
習ってきた数式などに目を通し、過去を振り返る。
ああ、こういう道を通ってきたのか。
「学習の目的」などの部分を読み返したりもした。


そして思ったのが、上のTwitter部分に書いたことだ。
考え方、哲学が残る。
学習って、そういうことなんだ。
半年集中して専門的に学んで何か作るっていう学習もあるけれど、
集中の時期がすぎても残るものがある。
それが、考え方、哲学だ。
残らないものと、残る部分がある。
数式は残らないけれど、哲学は残るし、
習ったことをまた使うときには、以前できたからできるっていう
自信も残る。思い出も残る。


まあ、そんなところです。
秋、風は寒くなってきたけれど天気は良く、
そんな中で大学時代の紙を燃やしたので、
何か感じるものが合ったようです。


暗くなるまで燃やしていて見えたのは、
火の粉だけではなかった。